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漫画は芸術であるという視点

イギリスはロンドンでは2019年5月23日から8月26日にかけて、日本の漫画を主題としたThe Citi exhibition Mangaが開催された。
BBCによれば、大英博物館のギャラリーのうち、1,000㎡以上の面積が会場特設として使用され、240点に及ぶ原画や作品が展示されたという。
会場は7つのステージに別れ、「導入:不思議の国のアリス―イギリスと日本」、「ゾーン1:漫画という芸術」などテーマに応じた作品が並んだ。
ルイス・キャロル「地下の国のアリス」から始まり、さいとうたかを、竹宮恵子、萩尾望都、井上雄彦、諫山創らなど各分野を代表する漫画家ら50名以上が特集された。
大映博物館学芸員の日本美術担当者は、「漫画はいまや国際的な言語になりつつある」という。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48618569

上記の記事によれば、漫画は国際社会においていくつかの重要な役割を果たしているという。
一つは「植民地支配」に対する働きだ。

 

植民地

例えば政治的な緊張関係にある日本と韓国だが、漫画・アニメを始めとするポップカルチャーの輸出入は盛んでもある。日本と韓国は、統治時代の歴史認識を巡って今なお難しい状態にある。

こうした交流が歴史問題への解決へ繋がる可能性もあるだろう。

フランス支配の名残が強く残るアルジェリアにおいては、『キャプテン翼』を始めとする漫画の流行があり、旧植民国の文化から脱却し、自国のアイデンティティを構築するための方法の一つとして働いているという。
(もっとも、本文中で触れられている様に19世紀フランスには、浮世絵等の日本文化を特定の側面から積極的に吸収しようとする、ジャポニスムと呼ばれる時代があった。1830~1962年に及ぶフランス支配によって、アルジェリアにもフランスの日本趣味が伝播した可能性は大いに検討されるべきであろう)

 

ジェンダー

もう一つの重要な影響は「ジェンダー」に関わるものだ。
漫画の登場人物たちは、この点において既存の価値観から自由だ。
手塚治虫の『リボンの騎士』(1953-1967掲載紙跨ぐ)は、家庭で家事を任され子どもを育てる女性像ではない「戦う少女」として、冒険の世界へ旅立った。
竹宮恵子の『地球へ…』(1970-1980)にみられるような中世的美少年たちは、男女間での恋愛や同性での友情といった既存のパートナーシップを飛び越えていく。
本来は少年漫画ではあるものの、高橋陽一の『キャプテン翼』(1981-1988)は、少年同士の恋愛関係を同人誌の世界で流行させた。

近年では、志村貴子『放浪息子』(2002‐2013)、『ECHOES』(2016-)など、同性への恋や性への違和感や葛藤を正面から取り上げた作品も少なくない。

漫画、サブカルチャーの特異性は、受容方法にも見られる。例えば登場人物の衣装を作成・着衣する「コスプレ」、特定のキャラクター同時の関係性に注目する「カップリング、既存作品のキャラクターを借用して別の物語を創作する「同人誌」など、作品は作者の手を離れ、新たな解釈と楽しみ方が作られていく。さながらバルトのテクストの網の目を思わせる。

 

BL、カップリング、擬人化

こうした需要文化にももちろんジェンダーの多様性があり、男性同士のパートナーシップである「BL」は、1980年代から見られる。
2000年代以降は神、国、刀、赤血球などあらゆる概念が「擬人化」され、カップリングやコスプレの対象となるなど、ジェンダーのみならず生物と物質の多様性にも踏み込んでいく。

戦後のジェンダーに囚われない漫画文化の中心人物を取り上げると、女性のファンや創作家が多いことに驚かされる。
たとえば『キャプテン翼』や『テニスの王子様』(1998‐2008)の単行本読者ページを観れば、10~40代に及ぶ幅広い年代層の女性ファンが、キャラクター間のカップリングなどを通じて作品を応援している様子を垣間見ることが出来る。

また、日本最大級の同人誌即売会「コミックマーケット」においては、2011年創作・売り手側であるサークルの男女構成比は男性:女性=34.8:65.2(%)だという。

参考:コミックマーケット35周年調査
https://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81Ctlg35AnqReprot.pdf

 

文学

文学分野における伝統的なジェンダー批評の中では、例えばイギリス文学の歴史の中でエミリ・ブロンデ(1818~1848)やシャーロット・ブロンデ(1816-1855)が注目される。一方日本文学では、例えば語り手を女性であると仮定して始まる紀貫之『土佐日記』(934頃)など、性差を行き来する手法が古くから見られる。
男性と女性、作者と読者など、人間と物質など、境界を超える物語は、日本の創作の文化において一つの文化的特徴と言えるのかもしれない。
なかでも漫画は、文化の需要者の性を解放するのみならず、創作者としての女性の立場をも更新していく。
冒頭のBCCの記事の中で、「グローバルな言語としての漫画」で特に強く注目されているのは、こうした部分に寄るものだろう。

 

サイード 文化を語る上での倫理

一方で、漫画に関わらず、文化をグローバルな視点から語るとき、私たちたちは特に慎重であらねばならない。
かつてアメリカの文学研究者エドワード・サイードは、著『オリエンタリズム』(1978)において、イギリスを始めとする欧州の博物学が、アジアや中東への植民支配による戦利品の展示から始まると批判した。サイードによれば、博物館や教科書から見ることのできるアジア・中東の文化は、侵略民族である白人の文化を投影されている。彼ら白人は、一見異文化の文化と歴史の多義性を語っているかのように見えながら、その内実は異文化を使って自国の歴史観を再構築していた。

サイードの指摘は重要だ。
私たちが文化を語るとき、国際社会や政治、市場など、様々な文脈の中で言葉を紡いでいく。私たちは私たちの見えるものの中で文化を語っていくうちに、あたかもそれが統一された一つの真実であるかのように語ることがある。そうした「唯一の真実」が発言の力を獲得していく中で、その文化が本来持っていた意味や解釈、生み出されるまでの長い積み重ねや歴史が消失される。

たとえばその文化が、ある民族や国に生きる人々の存在理由に関わる物語であったらどうだろうか?それが歴史と分離されて伝わることのみに注目され、世界に広がったとしたら、その国や民族の存在を消失させることにもつながっていく。
私たちが文化を語るとは、その文化を作り上げてきた人々の歴史と無関係ではない。サイードは、文化の語り手に対し、このような「倫理」を求める。

 

クールジャパンは漫画を未来へ繋ぐのか

日本の漫画・アニメは、2010年以降、日本の市場で強く注目されるようになった。
例えば、経済産業省は「我が国の生活文化の特色を生かした商品又は役務を通じて我が国の生活文化が海外において高い評価を得ていること」をクール・ジャパンと名付け、映画・音楽・漫画・アニメ等サブカルチャーを「クール・ジャパン戦略」の一つの柱として位置付けた。

経産省「キッズページ」
https://www.meti.go.jp/intro/kids/interview/cool_japan/

内閣府「国のクールジャパン戦略の最新状況」
https://www.cao.go.jp/cool_japan/local/seminar4/pdf/siryou.pdf

ここでは、漫画やアニメは、国を超えて伝わる魅力を持ち、個性豊かな登場人物と丁寧なストーリーづくりが人気であると言われている。日本国内の人口が減少し、高齢化が進み、経済力が衰退していくことが目に見えている中、日本の存在感をPRする手段として、漫画の有効性が注目されているのであろう。商品価値としてはもちろん、肯定的イメージのPR、日本への旅行者(インバウンド)の拡大の柱として、漫画は確かに力を持っている様に思える。電子書籍やインターネット配信等の技術的革新も、追い風として働くことだろう。

一方で、国を超えて伝わる魅力とは、個性豊かな登場人物とはいったい何であろうか。海外から日本の漫画を応援してくれる人々にとって、漫画とはいかなる意味を持つのだろうか。それは日本のどのような歴史から現れたのであろうか。しかし「クール・ジャパン」からそれらの歴史や背景を読み取ることは非常に困難なように思われる。
私たちはサイードの指摘を思い出さなければならない。これは難しいが、重要な問いである。

 

日本における漫画とは?

通信技術の発展は、プロアマ問わず創作家の作品を発表する場の拡大にもつながっている。紙媒体だけでなく、電子書籍や動画、投稿サイトを活用した発表により、漫画の共有のされ方は益々変化していくだろう。
書き手、受け手の手段が多様化する中で、国際社会にも受け入れられるようになった漫画は、商品価値と流通手段も変化していく。
漫画は今、市場の商品としても文化としても、変化の渦中にいるようだ。

フランスの美術館は、日本の漫画を芸術の運動の一つとして、自らの文化に位置づけた。
イギリスのBBCは、それをジェンダーや生き方の多様性の担い手として捉えた。
日本に生きる私たちは、漫画をどのよう語ることができるだろうか。

参考  

漫画を語るのはだれか-大映博物館漫画展から考える漫画文化論
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