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「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出すことである。
…未成年とは、他人の指導が無ければ自分自身の悟性を使用し得ない状態である。
ところでかかる未成年状態にとどまっているのは彼自身に責めがある。というのは、この状態にある原因は、悟性が欠けているためでは無くて、むしろ他人の指導が無くても自分自身の悟性をあえて使用する決意と勇気を欠くところにあるからである」
(「啓蒙とは何か 他四編」イマニュエル・カント、訳 篠田 英雄、岩波文庫)

今なお議論の可能性を残す普及の古典

『啓蒙とは何か』はドイツの哲学者、イマニュエル・カント(1724-1804)の後期の著作です。
18世紀のヨーロッパにおいて、当時流行していた「啓蒙」という概念について、「ベルリン月刊」という雑誌の投稿への回答という形で発表された、カントの論文になります。

「啓蒙とは何か」はわずか20ページほどの論文ですが、「啓蒙」についての明快な定義は、学問の分野だけでなく、人間の在り方にも迫る倫理的示唆に富んでいます。

単独の論文としてはもちろん、カントの哲学的主張や、歴史的影響関係を知ることで、人間の知性の限界や普遍性に関する深みが見いだされ、哲学の歴史を知るほどにその面白さが増す書物でもあります。

ゆえにカントの思想は、哲学や啓蒙のみならず、教育、倫理、政治学等後の学問へ広範な影響を与えました。

その一方で、明快で普遍的な原理を追求するカント哲学の一部は、本来の領域以上に拡大され、人間や社会を進歩/改善させる特効薬のようにも解釈されてきました。

カントの主著として、『純粋理性批判』を始めとする批判3部作が挙げられることもありますが、そのどれもが難解です。事前に哲学的な知識を得ていなければ、魅力を感じる前に読むのを止めてしまうかもしれません。(こうした経験も、実は哲学的には非常に重要な体験です。)

これらの主著と比較すると、本書「啓蒙とは何か」は、カントの哲学的エッセンスが簡潔かつ明瞭にまとめられています。

カント哲学の魅力と可能性を知るための一冊として適しているのはもちろん、今なお議論の余地と可能性を残す普及の古典と言えます。

 

本書の歴史的背景

教科書的な理解によれば、カントは「ドイツ観念論」という哲学の完成者として紹介されることがあります。哲学者であるカントが、「啓蒙」について論文を発表したのはいったいなぜでしょうか。

それには発表前後の時代背景を知ることが手掛かりとなります。

 本書が発表された当時の17-18世紀のヨーロッパからは、学問の在り方、社会体制、人々の思想について、大きな転換を数多く見出すことが出来ます。

学問では、合理主義的思想や学問が急速に近代化しました。万有引力を発見したニュートンを始めとする自然科学は、世界や宇宙を成り立たせている法則を知るための大きな手掛かりを残しました。

トマス・ホッブズやジョン・ロックによる「自然状態」の考察は、「私たちが国家に従わなければならないのは何故か」を論理的に考えるための基礎として、今でも数多く参照されています。
フランスでは革命による政治体制の変化(1789年)が発生し、イギリスでは生産技術の革新に伴う産業構造の変化(産業革命)が進みつつありました。

 

転換期としての17-18世紀ヨーロッパ

歴史を振り返った時、何か一つの事件が社会の流れ全体を方向づけたと決定づけることは、実はとても難しいことです。

むしろ、社会の中での細かな変化を積み重ねるうちに、あたかも一つの大きな現象として私たちの前に現象したものを、事件として記録したのが歴史であるのかもしれません。

このように考えた時、17-18世紀のヨーロッパは、古代から中世にかけて承継されてきた人々の思考が、近代へ向けて飛躍的な転換を迎えた時期と言えます。

現在の私たちは、歴史を調べることによって、これらの変化が歴史的事件としてどのような帰結にいたったのかを大枠にでも掴むことができます。しかし、当時を生きる人々からすれば、新たな思想的潮流が何を生むのか、何が正しく何が間違っているのか、新しい発見によって古い価値観がどのような影響を受けるのか、知る由も無かったに違いありません。

このような最中、社会の中で急速に使用されることとなったのが啓蒙Enlightmentという言葉です。

 

啓蒙の意味は定かでは無かった

「啓蒙思想」とは「合理的な思考によって偏見を正していく立場」として理解されます。しかし、ジョン・ロバートソン(1951~)によれば、「啓蒙」という言葉の意味を正確に定義することは、実は非常に困難であるとされます。

ジョン・ロバートソンによれば、英語の翻訳である啓蒙Enlightmentは、19世紀ごろに登場した比較的新しい言葉です。それ以前は、啓蒙にあたる言葉として、ドイツ語ではAufklarung、フランス語ではLumieresが使われていたといいます。

AufklarungとLumieresという語には、共に「光」という観念が含意されています。「光」にはキリスト教的意味合いが含まれますが、「啓蒙」との関係を遡れば、プラトン『国家』の中の「洞窟の中の囚人と光」の比喩にその始まりを見出すことができます。

 

プラトンに見る「光」の哲学の始まり

プラトンによれば、洞窟で生きてきた囚人は、暗闇で生きてきたがゆえに、自分自身が鎖で洞窟に繋がれていることを認識することが出来ません。
奴隷が自身の状況を正確に「知る」ことができるのは、外から光をあてられた時だとされます。光に照らされてできた自分の影を見ることで、自身が鎖によって洞窟に繋がれているという事実を、彼は初めて知ることができます。
プラトンによれば「洞窟」とは我々の視界を曇らせている「無知」です。「理性」という光をあてることによって、我々は自らの無知を知り、真実の世界、真理にたどり着くことができます。

このように、「啓蒙」は、「哲学」(そして宗教)と、その出自において深い関係を持っていました。

 

哲学・啓蒙・進歩

しかし18世紀に入ると、「啓蒙」と「哲学」に、「進歩」というまったく異なる意味が付け加えられることになります。

1751年、ジャン・ダランベール(1717~1783)とドゥニ・ディドロ(1713~1784)の編集による『百科全書すなわち諸学技芸辞典』Encyclopedeia第一巻の序文では、知性の起源が人間が生得的に持つ「感覚」に由来することや、人間の知性が古代から中世にかけて進歩をしてきたこと、古代哲学の発展の延長上に17世紀の「科学革命」が起こったことが示唆されています。
また、観念の感覚的基礎という議論をより発展させたディヴィッド・ヒューム(1711~1776)の」登場など、「哲学と啓蒙を同一視しようとするダランベールの選択は、同時代の英仏の知的文化の支配的な趨勢と一致していた」。(ジョン・ロバートソン『啓蒙とはなにか』)。

 

「啓蒙」の含意は拡大し、人間の存在や本質に関わる知性の在り方として、啓蒙によって進歩した人類と取り残された人類がいるかのような解釈に敷衍されました。

このような中、1783年の旧プロイセン王国の機関紙「ベルリン月刊」で、まさに「啓蒙とは何か」という問いの回答が求められましたのは、ある種必然であったのかもしれません。
本書『啓蒙とは何か』が出版されたのはその翌年の1784年です。

以上の背景を踏まえれば、カントがこの時期に『啓蒙とは何か』を発表したことが、単なる哲学上の問題だけにとどまらないことは明らかです。

カントは「啓蒙」という言葉を通して、古代から18世紀にいたる知性の在り方、18世以降の人類が歩むべき道筋を描こうとした、このように考えることができるでしょう。


未成年状態から脱出する勇気と決意

「啓蒙とはなにか」、この問いに対するカントの回答は非常に明快です。
啓蒙Aufklarungとは、自らが招いた未成年状態を抜け出ること、そのために必要なのは理性を公的に使用するための自由であると定義しました。
ここで言う未成年状態とは、他人の指導が無ければ自分の理性を使うことのできない状態のことですが、この「未成年状態」に対するカントの分析は、現代から見ても非常に教育的です。それは、人間が「未成年状態」から抜け出すことを阻むのは、悟性の欠如によるものではなく、未成年のままでいたいという堕落から由来するものだからです。

カントによれば、他者の意見をそのまま用いたり、書物の内容を引用して、さも自分の意見であるかのように振る舞うことは、自分の理性を使うことに比べれば遥かに楽なことです。主張を誤ったり、他者からの批判を受けたとしても、それは自分の意見ではなかったと言い逃れることができるからです。
ゆえにカントは、啓蒙の標語は「自らの悟性を使用する勇気を持て!」であると結論付けます。


公的な理性を行使するための自由

啓蒙におけるもう一つの必要条件としてカントが挙げるのは「理性を公的に行使する自由」です。
カントは、例えば公職を有する将校や聖職者、労働者が、勤務中にも関わらず与えられた命令に疑問を表すことを「理性の私的な利用」と呼び、「論議はもとより許されていない」と断じます。
しかし、彼らが学者として、公共の関心事について、著作や論文を通じて「世界に対して語り掛ける場合」には、「公的な理性の使用」として広く認められねばならないと述べました。

カントの主張には、もちろん時代的な背景と批判の対象があります。
たとえば、人を未成年状態に留めおく社会現象として強調されているのは宗教であり、公的な理性は著作における言論の自由であると言明されています。
しかしながら、本書を始めとするカント哲学を、18世紀のヨーロッパにのみ妥当する遺物として退けることは、早計に過ぎるでしょう。


理性に基礎づけられた哲学

哲学史上のカントの重要性は、第一に、「理性」を基礎に世界にあり方にまで適用可能な思考原理を提案したことにあります。

啓蒙と哲学の統合的発見は、先のダランベールやヒュームにも見られた見解でしたが、カントの言う「啓蒙」とは決定的に異なる点があります。
カントの哲学は、知性の源泉が経験のみであるという立場に対する批判から始まっており、人間の理性への強力な信頼が体系的な基礎になっています。そこから、知性の有無ではなく勇気と決意こそが啓蒙の鍵であるという倫理へ、また自由で公的な市民の議論という国家の抑制原理へと論理が展開されます。
また、カントは後年『永遠平和のために』(1795)という論文で、自由かつ平等な国民による政治体制が国際連合へと至り、恒久的な休戦条約(平和状態)を構成するという理念を描きました。
啓蒙を可能とする自由で公的な理性の行使が、個人の自立を促し、国家の自立、ひいては国家間の連帯による恒久平和という理念として結実する。カントの哲学はこのような敷衍的原理と普遍的体系に基礎づけられています。

『啓蒙とは何か』は、個人の自立/自律の基本的条件を描いたという意味で、カント哲学の出発点たる論文と言えます。

 

現代メディアにおける「未成年状態」と「公的な理性」

一方で、カント的な視点で現代のコミュニケーションや日常世界を見た時、現状をどのように考えることができるでしょうか。

例えば、カントの言う「未成年状態」と「公的な理性を使用する自由」を、現代の私たちの生活世界に対置させたとき、何が見えてくるでしょうか。

 スマートフォンが日常化した私たちの世界では、誰もがメディアの受信者かつ発信者になることができます。SNSや動画を通じて、肉体的な関わりのない人たちとコミュニケーションをとり、数百人から数千人以上の人々へメッセージを送信することが可能です。

 その一方で、自身の発言や投稿がきっかけでネット上での「炎上」を招くことや、個人情報を流出させるリスクに常に晒されており、人種や宗教の差別を伴うヘイトスピーチへ発展することもあります。

自身の主張を責任持って行うよりも、顔の分からない他者の意見を「リツイート」し、リアクションの多い「バズった」投稿へ追従することが、意見の信頼性と拡散性を高める効果的な手段として働きます。

 一見すると、私たちは自由な意見交換を可能とする「自由」な議論の空間を得たかのように思えます。しかし、それはすぐに「恒久的な平和」に結びつくわけではなく、一面的には自分以外を含めた人間を傷つけるリスクと効率を大幅に高めているようです。

同時に、自らが深く傷つくリスクを犯し、自分の考えを責任をもって主張するという「未成年状態」からの脱出を果たすには、別の次元の難しさが私たちを縛っている様に思えます。

18世紀から200年近い時の流れを得たにもかかわらず、私たちはカントの描く個人と社会の在り方から益々遠ざかっているよう様に思えます。

 

理性という原理的基礎から世界のあるべき姿へ

理性という原理的な基礎から出発し、世界のあるべき姿へと拡張されていく普遍的哲学。ここに現在に至るまで多くの哲学、倫理、教育へ影響を与えたカントの哲学の、きわめて大きな魅力があります。
その一方で、カントが主張した「啓蒙」の可能性とは、一見すると大きな隔たりがあるようにも思えます。

私たちは依然「未成年状態」のまま、「公的な理性を行使する自由」を得られてはいないのでしょうか?それとも、カントによる「啓蒙」のプロジェクトそれ自体の可能性が、現代では潰えてしまったということでしょうか?

その検証を図るには、カントによる「啓蒙」の意味を、私たちの時代にふさわしい形でとらえなおす必要があります。

 

(後半へ続く)

 

参考文献

『啓蒙とは何か 他四編』岩波文庫 著:イマニュエル・カント 訳:篠田英雄
『啓蒙とはなにか 忘却された〈光〉の哲学』白水社 著:ジョン・ロバートソン 訳:野村伸司、林直樹

 

【書評】カント「啓蒙とは何か」-哲学と啓蒙は私たちを魅了する
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