f:id:kojity:20190323170140j:plain

 

「なんにしても、
シャルリーは俺が猫を処分した時と同じく、なにごともなかったかの様に話していた。
きっとかれは正しいのだろう。
あまり感傷的になっても仕方がないし、
犬は茶色がいちばん丈夫というのはたぶん本当なんだろう。」
(フランク・パヴロフ、「茶色の朝」p5)

 

寓話と哲学性

本書は、フランスで出版されたフランク・パヴロフFranckPavloffの「Martin brun」を基に編集された、本文30ページほどの寓話です。
日本語版には、ニューヨークのアーティストVincentGalloの挿絵と、日本の哲学者高橋哲也による解説が寄せられ、絵本であり哲学書でもあるような多層的な雰囲気を持ち合わせています。

陽のそそぐビストロでコーヒーを飲んでいた”俺”と”シャルリー”が、中身に注意を払う必要のない会話をしながら、心地よい時間を過ごしている―物語はそんな平和な光景から幕を上げます。
シャルリーには一つ悲しい出来事がありました。それは自身の飼っていた犬を、安楽死させねばならなかったことです。
なぜなら、世間では”茶色”の種を優性とする科学者の見解が発表され、政府により茶色でない動物を飼うことが禁止されたためでした。
茶色に関わる特措法の整備は日ごとに進行し、やがて茶色でない動物が殺処分され、特定の書籍が発禁された……そんなニュースが、”茶色新報”や””茶色ラジオ”で喧伝されるようになります。
俺とシャルリーは、社会のそうした動きに違和感を感じつつも、新しく飼った犬がお互いに同じ茶色であったことを喜んだり、競馬の当たりを楽しむなど、毎日の気持ちを共有しながら過ごします。
そして、茶色の朝を迎えることになります。

 

茶色の意味を巡る

この物語に登場する”茶色”とは何を意味するのでしょうか。
日本語版に収められた高橋哲哉の解説に、優れた解釈があります。
抽象的な言い方をすれば、それは”力”です。法律、国の方針、メディアの言説、空気を読むこと、周りに合わせること……。
私たちが社会で生きる上で、本当は納得の行かない時、違和感を覚える時、これらは様々な場面で現れます。親の言うことを聞かねばならないとき、上司の命令に従わねばならないとき、周囲の意見に合わせねばならないとき。
自分の意見が周りと違っているが、果たして今それを述べるべきかどうか。こうした悩みを持つ瞬間は誰にでも訪れるのではないでしょうか。

 

自分の意見をもつという困難

日本の教育は、近年、自ら主体性を持って生きることを強く推進しています。しかし、自らの意見や価値観を大事にしようとすればするほど、周囲との軋轢は増すことになります。
残念ながら、今の日本の社会で、自我を独立させて生きようとすることは多大な困難を伴います。「空気を読む」、「忖度する」、日本には周囲との関係を言外で構築することを表す独特の表現があります。自身の感じる違和感などなかったようにふるまうこと、意にそぐわない服従を自分に納得させること、そのテクニックを身に着けることが大人であり、社会を知ることである。このような意見は、日本社会で大きな力を占めているように思えます。

“俺”は、”茶色”であれば安心を得られる社会に何度も疑問を抱きます。しかし、その都度様々な理屈を持ち出し自らを説得します。
様々なものを失った最後、やはり最初に”茶色”に反対すべきだった事実を認めながらも、もう遅かった、日々の仕事が忙しかったなどと言い訳しながら、自分から進んで”茶色”の呼び出しに答えて行きます。
その先に何があるのかは分かりませんが、明るい朝が来るという想像は難しいように思います。

 

フランスが迎えた茶色の朝

“茶色の朝”を迎えた社会とはどんな世の中なのでしょうか。
解説によれば、本書の出版されたフランスでは、”茶色”はナチス初期の制服の色でもあり、ナチズム・ファシズム・全体主義の象徴と見做されると言います。
1990年代の西ヨーロッパでは、民族主義・国民主義を基調とする保守政党が力を増しつつあり、中には外国人や特定人種の差別を訴える政党も現れ始めました。2002年には、人種差別と排外主義で知られるルペン候補が、フランスの大統領候補として決選投票まで勝ち残り、社会に大きな動揺を与えたと言います。
パブロフはこうした中、本書を国内の若者へ向け1ユーロで発表しました。決選投票で揺れる社会情勢の中、”茶色の朝”はベストセラーとなり、ルペンは敗北しました。
カフェでコーヒーを飲みながら国籍や肌の色の違う人種を処罰する、そんな残酷な自分たちを「しょうがなかった」と慰める……。2002年のフランス社会は、”茶色の朝”からそのようなイメージを抱き、自分たちの投票によって回避したのかもしれません。

 

私たちの前の茶色の朝

しかし2019年の現在、ヨーロッパは移民、Brexit、金融危機等、民主主義という理念に関わる新たな危機を迎えており、”茶色の朝”は遠ざかるどころかいよいよ現実化しつつあるように思えます。
日本も同様に、在日外国人、経済的弱者、性的少数者など、力の弱い人たちに対する差別が暗に明に進んでいます。

先に私は、違和感を覚えた自身をそうでないかのように納得させることが”茶色の朝”を呼び込むのだと書きました。
しかし、時代は新たな局面に来ているのかもしれません。
周囲との対立を恐れず、自らの価値観を確立させること、この未来の可能性の一つにも、”茶色の朝”が現れるのだとしたら……?

私たちは、「これが正解だ」というコンパスを持てないまま、それでも”茶色の朝”を避けるための道を探す、困難な時代に生きているのかもしれません。パヴロフから渡されたバトンを持ちながら。

 

【感想】フランク・パヴロフ「茶色の朝」
Scroll to top